Tim Scruggsは、1960年代初めに機械工として3年間働いていました。しかし、ビリヤードへの情熱が捨てられず、ボルティモアのビリヤード場を経営するために、機械工の仕事を退職しました。その当時の仲間には、町のビリヤード場2つを経営するDan Janeと常連のBill Stroudがいました。数年後にDanとBillはボルティモアでJosscueを製作することになります。2人の友人として、TimはJosscueを買いました。
TimはJossの工場を訪問した時に、機械工の腕をかわれて、そこで働くことになりました。1970年にJossの工場で3ヶ月間キューの製作にたずさわり、ビリヤード場の経営に戻りました。2,3年後には、ビリヤード場の経営に飽きてきて、キューの製作こそが自分が生涯にわたって続けていく道ではないかと考えはじめました。
1972年にDanとBillはTimに対して、Jossでキュー製作を行っていく気があるかの確認の電話があり、Timは申し入れを受け入れ生涯にわたってキュー製作に携わっていく決意をしました。このようにして、TimはJossで働くようになりキューの製作について学んでいきました。その後6年間、DanとTimは共同でJosscueを製作していきます。
1978年にTimは独立して、自分自身でキューを製作することを決意しました。彼は、Bill Mcdanielを訪れるためにテネシーへ行きました。その後、Timは店を出すためにボルティモアに帰りました。小学校以来のTimの友人であるBob Froyは、キューの製作に協力することを申し出ました。このようにして、Tim Scruggs Custom Cuesは誕生したのです。数年後にBillが3番目のパートナーになりました。
Timの製作した初期の作品は、Josscueとほとんど同一でした。その当時のキューにはサインはありません。その後短い期間のうちに、自分独自のスタイルを開発し、改良に勉めていきました。
1980年代に入ると、キューにロゴを入れるようにしました。1985年にはすでにキューに象牙リングが施されていました。1988年になると、Timはキューにロゴ印を押すのをやめキューにロゴを彫り始めました。
現在、Timは月に少数のキューしか製作していません。Timのキューには多くのインレイが入っており、「Cocobolo」 「Kingwood」 「Paduk」 「Snakewood」 「Zircote」 「Birdseye Maple」などいろいろな木材を組み合わせたキューを製作しています。さらに高額のキューには「マラカイト」 「トルコ石」 「金」 「銀」などの宝石や金属を使用します。
Schmelkeはノースウエスト・ウィスコンシンにあり、40年以上の歴史を持っています。今日、1ピースおよび2ピースキューの両方を、アメリカやヨーロッパそしてカナダの至る所で販売しています。Schmelke Cuesは1人からスタートし、今では20人以上を雇用する製造工場となりました。
Schmelke Cuesは、DuardとRichard Schmelkeの兄弟によりキューの製作を開始しました。1940年代後半Duardが2ピースキューを作ることを決意し、1969年まで1人で製作していました。1969年以降、息子のJimが製作を手伝うようになりました。DuardとJimは、今までのノースウエスト・ウィスコンシンから広い場所に製造工場を移転させ、数人の従業員を雇いビジネスを拡張していきました。Duardと妻のEvaが販売を担当し、Jimは製造を担当しました。1980年代の初め頃、DuardとEvaはビジネスから引退すると同時にSchmelke Cuesを株式会社としました。1985年には、新しい製造工場に移転しキューの量産を開始しました。1985年以降3回にわたって製造設備を拡大しました。最先端のUV技術を取り入れたシステムや室温管理システムは、木材が製造工程全般に渡って曲がらないことを可能にします。1997年にJimの息子Davidがファミリービジネスに参加しました。
JimとDavidは、Schmelke Cuesが過去40年の歴史によって育て上げた高い品質とサービスを継続していこうと考えています。また、手頃な値段で良質のキューを製作・販売することに誇りを持っています。Schmelke Cuesは、「Cocabola」 「Rosewood」 「Birdseye Maple」 「Ebony」などの木材は、少なくとも1年間はねかせてから使用します。
Raymond Sharles Schuler,Jr は1931年3月11日にイリノイ州のエバンストンで生まれ、シカゴで育ち14歳からビリヤードに没頭するようになりました。
20歳前半には、3クッションビリヤードで1イニングの平均が0.7点であり、ストレートプールではハイラン60点を記録するオールラウンドプレーヤーでした。彼のキュー製作に対する情熱は、ビリヤードをプレーすることから育っています。
Rayはシカゴの伝説のキュー職人であったHerman Rambowの長年の客であり、友人でもありました。Rayは1949年(当時18歳)に、初めてRambow Cueを購入しました。
Rambowは1967年に他界したので、Rayはシカゴで友人および選手のためにキューの修理を始めました。1970年代になるとキューの修理ばかりでなく、キューを製作するようになっていきました。そのきっかけは、ミネアポリスのビリヤードトーナメントの時の出来事からです。Rayが友人とキュー製作に対する熱意について語り合っていたら、友人はRayが最初に製作したキューを買いたいと申し出て、前金で50ドル支払ったのです。その50ドルでキュー製作を決意し、数ヵ月後に最初のキューを作り上げました。
キュー製作が軌道に乗るまでには2年の歳月を要しました。彼のキュー製作における知識は、独学で学んだものです。
Paul Motteyは1964年に高校を卒業してからビリヤードを始めました。1970年代と1980年代前半はトーナメントに終始し1983年にはBCAナショナルチームで、8-ボールチャンピオンシップに優勝しました。現在もピッツバーグエリアで最高の選手として活躍しています。
高い技術を持つプレーヤーであるPaulは、大量生産されたキューには満足できませんでした。1983年には彼は最初の旋盤を購入し、新しいキューメーカーが誕生したのです。彼はキューの修理から始めて、それから徐々に単純なキューを製作して行きました。
1984年に、Paulは病気のためにプレーヤーとしての道をあきらめざるをえませんでした。そのため、集中してキューメーカーになることを決意しました。初期の頃のPaulの作品は、「George Balabushka」 「Gus Szamboti」 「Frank Paradise」達の、伝説のキュー職人と呼ばれる人のデザインを参考としています。その後、短期間のうちに独自のデザインやスタイルを確立していきます。1980年代後半には、キューメーカーとして確立しました。
Paulはプレーヤーとして、キューは打感や適切なバランスといった感触が最も重要だと考えています。2ピースキューはジョイントにて継がれますが、あたかも1ピースキューのような感触が必要です。Paul Mottey Cueの感触を、ぜひ試してみてください。
Mike Lambrosはメリーランド州ボルティモアで生まれ、ポケットビリヤードと3クッションそしてスヌーカープレーヤーとして30年以上の経験を持っています。
彼は、カリフォルニア州バサデナでNASAジェット推進研究所の遠距離宇宙ネットワークの設計担当電気技師として長年働きました。
カリフォルニアに住んでいるとき、ベテランツアープレーヤーであるBuddy(映画 ボルティモアの弾丸のDennis役)の影響によって9ボールプレーに魅了され、またその時期がプレーヤーとしてのピークでもありました。
ビリヤードをプレーしている間、自分のプレースタイルに合う性能を持ったキューに出会うことが出来ないわだかまりがあり、ついには自分の持っている設計技術・機械についての知識・ビリヤードプレーヤーとしての経験を生かして、自分が使用するためのキューの設計&製作を始めました。
Lambros Cues Inc.は歴史は浅いのですが面白い経歴を持っています。
MikeがNASAジェット推進研究所で働いていた時に転勤によってボルティモアに帰ってきた、1991年のある夜のトーナメントでの出来事です。
BCA公認のレベルの高いローカルプレーヤーが、Mikeの持っている、美しく高性能な量産品ではない(one-of-kind)キューに気が付き、Mikeにキューのことを尋ねたのです。
Mikeは、このキューは自分が手作業で作ったと返答したところ、彼は驚いたと同時にMikeに自分がプレーするためのキューを製作するように依頼したのです。
こうして、Lambros Cueは誕生したのです。
Mikeはさらにキュー製作に対する技術向上に勉め、またキューの性能は非常に優れていたためボルティモアの他の選手からも注文を受けることになりました。
1992年に副業としてではなく本業として、キュー製作を行うように説得されLambros Custom Cueを正式に創立しました。
Lambros Cues Inc.は毎年3つの展示会でブースを持っています。
3月:The Allen Hopkins Billiard Expo
7月:The Billiard Congress of America(BCA) Trade Show
9月:The U.S. Open 9-Boll Championship
気軽に立ち止まって声をかけてください。
Garland”Judd”Fullerは、アーカンソー州のマーシャルで生まれました。父はその地域では最良のプール選手であり、ビリヤード場を経営していました。父の死後、彼もGinacueを購入しビリヤードの実力は上達していきました。そのうち自分自身でキューを作りたいと考えるようになっていきます。
現在、Juddと妻Trudyは協力してキューを製作しています。Juddcueを使用している有名な選手は、Robin Dodson,Helena Thornfeldt,”Bakersfield Bobby”のHernandez,Vince Gillらがおり、高い芸術性とプレーアビリティーを証明しています。
Judd’s Custom Cuesは、全ての部品を自社で製作します。また、世界中の利用可能な木材を使用します。われわれの製作したキューのすばらしい打感を試してみてください。
キューの重量、シャフトのサイズなどの指定があれば正確に要求仕様にあったキューを製作します。